プラハ ウィーンは着飾った中世ならプラハはすっぴんの中世

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14世紀神聖ローマ帝国以来の王宮

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全長520mのゴシック様式のカレル橋とスメタナ交響詩「わが祖国」で有名なモルダウ河と王宮

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王宮から旧市街地方面

 

プラハ本駅から外へ出ると、ウイーンの建物とのギャップに驚きました。

ウイーンが着飾った中世ならば

プラハはくすんだ中世に見えます。

 

ゴシック様式ティーン教会、旧市庁舎、バロック様式

の聖ミクラ―シュ教会に囲まれた旧市街地の広場に立ち、

目をつぶると、

自分が中世の一庶民であるかのように感じる雰囲気がそこにはありました。

 

カフェや土産物店などの屋台が並び、観光地特有の猥雑さがありますが、

広場は、イースターの休日を楽しむ観光客で混雑していました。

 

馬車が一台通れるくらいの細い道のカレル通りを

モルダウ河の方に向かうと、

橋の向こうの小高い丘の上にプラハ城が構えていました。

 

チェコの通貨はクロネなので、店ではユーロは使えなかったり、

使えたとしてもお釣りはクロエだったりして大変不便でした。

両替所には長い列が出来ていましたが、二日間の滞在なので工夫

をしてしのぎました。

 

国々が重なり合うように存在するヨーロッパでは、統一通貨ユーロは利便

性が高く、またEUは人々の交流、物資の移動が自由に行われ、

このことはお互いの垣根を取り払い、これまでの過去の幾多の争いを解決する最善の

策のように感じました。

EUがもたらす利便性や自由は、政治的、財政的に意見の対立や軋みがあっても、やはりヨーロッパの人々の希望を表しているように思いました。

 

 

 

 

 

 

ウィーンⅡ 心の宗教であるべき宗教

 

 

 

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ウィーン シュテファン寺院

ヨーロッパを旅するとキリスト教会はつきものです。日曜日にあたったレーゲンスブルクの大聖堂ではミサに参加し聖歌隊の歌声を聴きました。

 

しかし、僕は教会に行く度に疑問が湧いてきます。

なぜ教会は壮厳で豪華でなくてはならないのか。

なぜ薄暗い内部に蝋燭を灯し非日常的空間を演出しなければならないのか。

なぜ聖歌隊の讃美歌は天井に反射してまるで天使の歌声のように天から降り注がれなければならないのか。

 

若い頃、新約聖書を読みました。一回だけですので読解が間違っているかもしれませんが。

初めの章の方では、中東の荒涼とした大地で、一粒の麦、一滴の水を失った者の絶望は深く、深ければ深いほど救済を求める者は自ら歩みを進めて救済を求めていく様子が濃密に描かれていました。

しかし、章が進むにつれ、教会が人々を手招きする描写になり読み終えるのに苦労しました。

 

十数年前にヨーロッパを自転車で旅した時、ドイツのアウグスブルグからローテンブルクへ、村から村へと自転車を走らせたのですが、村々の中心には教会がありました。

アウグスブルグはローマカソリックの司教座都市であり、ローマカソリック教会の影響下にありました。

アウグスブルグに近い村ではカソリック教会。少し遠くなると一つの村にカソリック教会とプロテスタント教会。更にアウグスブルグから遠ざかるとプロテスタント教会だけになりました。

 

あくまでも僕が感じた個人的な感想であるということを分かって頂いたうえで、

心の宗教であるべき宗教が、教会の宗教に転移していくのは何故か、いつもヨーロッパを旅すると考えさせられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウィーン グーグル検索は世界共通 

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ウィーンの繁華街はイースターを楽しむ人達で賑わっていました。

住宅街は小さなスーパーは店を閉め、

車も少なく休日らしいのんびりした雰囲気が漂っていました。

 

地下鉄に乗り、着いた駅kardinal-nagl-platzは

石造りの建物と石畳の静かな街です。

温かい陽ざしの中を乳母車を引いたお母さんが歩いています。

 

地図を見ながらホテルを探そうとしましたが、

方向感覚が掴めずさっぱりわからない。

で、道を訊ねることにしました。

年配の人に聞いたら要領を得ません。

やはり若い人に限ると、

通りがかった学生らしい女性に訊ねたら、

さっとカバンからスマホを取り出しグーグルで検索し始めました。

 

な~んだグーグル検索は世界共通なんだなあ。

コンピューターは

世界中の人たちの行動、思考を同一化している。

 

ならば、やがて民族や人種や宗教の垣根が低くなり、

相互理解が容易に進むのかなあ、

とふと考えたりしました。

 

シルクロードの小さな村で食事をした時、

その地方独特の香辛料が強く食べることが出来なかった。

が、様々な人が品物を持ち込み人々の交流の多いクチャの町では味はまろやかになりました。

外国の観光客が行き交う新疆ウイグル自治区の首都ウルムチでは

まったく問題なく美味しくいただいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Here Comes The Sun

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ウイーンへ行くために、レールジェットで

ミュンヘン中央駅を出発したのは午前9時半。

車内は混んでいて、席に座れない人が大勢いました。

 

途中左の車窓に、

緑がしきつめられたなだらかな丘が続き、

青い空と緑の斜面とその斜面に丘の頂まで伸びる一本の白い細い道が

コントラストとなって

イースターの朝の輝きを表しているように見えました。

 

やがて右手後方遠くに、スイスのインスブルックの方面でしょうか

雪を頂いたアルプスの山々が見えました。

 

ウィーン中央駅に着いたのは13時半。

 

外へ出ると温かい陽ざしが降り注ぎ、

近くの公園に行ってみると太陽を浴びて語らう人々の姿がありました。

 

昨日のミュンヘンとはうって変わりウィーンは最高気温は19度

 

公園の人たちから、長い厳しい冬が過ぎて春が来た喜びを感じました。

ビートルズ

ジョージハリソン「Here Comes The Sun 」

のメロディーが自然に口をついて出てきました。

 

 

 

ミュンヘンからウィーンへ QBB railjet

 

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(ミュンヘン中央駅発ウィーン中央駅着 

  QBBオーストリア連邦鉄道レールジェット)

 

ミュンヘン空港からSバーンミュンヘン中央駅に着いたのが 19時。

日曜の夕方にも関わらず、

電車に乗り降りする人、駅ナカのカフェやスーパーに入る人で

混雑していました。

 

まず予約のホテルへと向かおうと思ったのですが、

ホテル名と電話番号しかメモしてありません。

仕方がないので電話しましたが繋がらなかったし、

繋がったとしても言葉が分かりません。

 

丁度通りかかった警備員にホテルの場所を聞いたのですが、

肩をすくめるだけで途方にくれました。

 

駅近のホテルと分かっていたので、とりあえず周辺を探そうと、

私たちが泊まれるグレードのホテルがありそうなエリア側へ出ました。

 

今日のミュンヘンは最高気温8度、最低気温4度。

リュックからハーフコートを取り出し、襟を立てて、

周辺を回りましたが、当然見つかるはずがありません。

店は閉まっているし尋ねようにも人影がありません。

 

仕方がないので、

どこでもいいから泊まろうと、近くのホテルに入って、

念のために聞いたら、

ワンブロック先にあることがわかり、

無事に、東京で予約したホテルにチェックインすることが出来ました。

 

 

 

 

 

2018年ヨーロッパ列車旅行の旅程です

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当初はドイツ、オーストリアブルガリアチェコを周ろうかと考えていました。それで3か国、もしくは4か国用のセレクトパス購入の予定でした。

が、友人と話をするうちにせっかくだからフランスにも行こうと相談がまとまり、ユーレイルパス参加国が周遊できるグローバルユーレイルパスを買いました。

それから二人以上のグループが同一の旅程で乗車する際に割引になるセーバーパスを選択しました。このパスは団体旅行券のようなものなので、ふたり合わせて1枚しか発行されませんでした。

 

予定した計画は、ミュンヘン、ウィーン、プラハ、ベルリン、アムステルダム、パリ、マルセイユ

マルセイユ以降は成り行き次第で、と友人と話し合っていました。

 

マルセーユからニース、ジュノバ、ミラノからミュンヘンへも魅力あるプランだし、リヨン、ジュネーブを経由してチューリッヒ、フランクフルト、ミュンヘンへ戻るのもありかなと色々迷いました。

 

結局、ミュンヘン、ウイーン、プラハ、ベルリン、マインツ、パリ、マルセイユチューリッヒアウグスブルグレーゲンスブルクの旅程でミュンヘンに戻ってきました。

 

ベルリンからアムステルダムへは、ケルンで乗り換えるのですが、乗換駅をデュセルドルフと勘違いし、そのままライン河を南下してしまいました。

仕方がないので、ライン河沿いのマインツに泊まりました。以前、自転車の旅で滞在した街ですが、今回裏通りを歩き、落書きやごみが散らばっていて違った印象を受けました。

 

1都市1泊又は2泊の慌ただしいものでしたが、各国の都市の雰囲気は味わえたし、各国の列車には乗れたし、ビールやワインは美味いしくて、楽しい旅でした。