ぶらりベルリン
ベルリン中央駅の中に、スーパーマーケットやドラッグストア、カフェ、レストラン等があり大勢の人が乗り降りしていました。
2006年の開業だそうですが、駅の外はまだ再開発地区で殺風景です。
まずホテル探しです。近郊電車Sバーンに乗り、西ベルリンの玄関口ツォー駅へ向かいました。
温かい陽ざしが降り注ぎ、あちこちのオープンカフェではコーヒーやビールを飲みながら休暇を楽しむ人でいっぱいでした。その多くが観光客なのかな、とちょっと心配しました。
案の定、ホテル探しは軒並み断られ、難航しました。また、頼みにしていた観光案内所も見つからず、仕方がないので中央駅に戻ることにしました。
太陽が傾く夕暮れ近く、ツォー駅のすぐ向かいにあるドイツ最古の動物園から子供たちが笑顔で出て来るのと対照的に僕たちは疲れて言葉数も消えていました。
中央駅に降りて、探すこと、二軒目でホテルにチェックインすることが出来たのでラッキーでした。
翌日は早朝から地下鉄Uバーンに乗り、二駅目のブランデンブルク門で降り、かって壁があった道路を南へ行き、ポツダム広場から南東へ進み、それからべルリンの東側の地区を周り夕方まで歩き周りました。
日曜の早朝のブランデンブルク門 1788~1791年プロイセン王国の凱旋門として建てられた
ユダヤ人犠牲者記念館 ブランデンブルク門から南へ100Ⅿ 2711本のコンクリート製ブロックが現れる
東西ドイツ統一後に再開発されたポッツダム広場の商業施設
ブランデンブルク門から南へ800m
ユダヤ博物館は、中心街から外れた静かな地区にあったが、館内は校外学習なのか引率された中学生でいっぱいでした。
戦後73年経っても過去の歴史を風化させない現実認識を、僕たちも学ばなければならないと感じました。
チェックポイントチャーリー(旧国境検問所)GIに扮して、検問所前で面白おかしくパフォーマンス。観光客用写真撮影の商売かな?
ベルリン大聖堂 ホーエンツォレルン王家の墓所
午後のブランデンブルク門で踊る人々
ベルリン中央駅前を流れるシュプレー川の川岸で、午後の太陽を楽しむ
シュプレー川と遊覧船
プラハからベルリンへ
CEIなどの長距離列車が発着するドイツでも最大級のベルリン中央駅
中央駅周辺は再開発地区でまだ殺風景
中央駅前を流れるシュプレー川
左手ドーム頭だけを出している建物はドイツ連邦議会議事堂
プラハ~ベルリン間はICEで4時間40分の旅です。
ドイツの新幹線は、基本的に座席はフリーですが、座席を確保したい人は前もって座席券を購入する「任意予約制」のシステムになっています。
僕たちの座席は予約されていて、次の駅で座席チケットの持ち主が現れ、どくように言われ席を追い出されてしまいました。
ちなみに他の国の新幹線は全席指定でした。
そのことをすっかり忘れていました。
列車は、混んでいたので空いている席はありません。
どうしようか迷っていたら、乗り合わせた日本人が、
数両先に自転車用の車両があり、簡単な椅子があるからそこに座ったらよ
いと教えてくれました。
そこへ行くと自転車用車両にかかわらず、自転車はなく、座れなかった
人たちであふれていました。
ラッキーなことに、別々にシートが2つ空いていたので、友人と別れて座
りました。
隣の女性はパートナーの男性にしきりに話しかけ、男性は優しく頷き、女性は笑ったりはしゃいだり一人賑やかでした。
いつか僕に話題が向くかもと思っていたら、案の定話しかけられました。
「どこの出身?どこを周ってきたの?」と、型通りの会話をして、話題が途切れたので、話題を探してたところ、パートナーの男性が、アメリカのTVドラマ「スーツ」の登場人物によく似ていたので、その話で大いに盛り上がりました。
4時間40分の列車の旅は隣席のアメリカ人との会話であっという間に過ぎました。
英語は苦手だが、ボディランゲージでなんとか通じるものだと、今後の旅行にちょっと自信が湧いてきたかな。
。
プラハ ウィーンは着飾った中世ならプラハはすっぴんの中世
14世紀神聖ローマ帝国以来の王宮
全長520mのゴシック様式のカレル橋とスメタナの交響詩「わが祖国」で有名なモルダウ河と王宮
王宮から旧市街地方面
プラハ本駅から外へ出ると、ウイーンの建物とのギャップに驚きました。
ウイーンが着飾った中世ならば
プラハはくすんだ中世に見えます。
の聖ミクラ―シュ教会に囲まれた旧市街地の広場に立ち、
目をつぶると、
自分が中世の一庶民であるかのように感じる雰囲気がそこにはありました。
カフェや土産物店などの屋台が並び、観光地特有の猥雑さがありますが、
広場は、イースターの休日を楽しむ観光客で混雑していました。
馬車が一台通れるくらいの細い道のカレル通りを
モルダウ河の方に向かうと、
橋の向こうの小高い丘の上にプラハ城が構えていました。
チェコの通貨はクロネなので、店ではユーロは使えなかったり、
使えたとしてもお釣りはクロエだったりして大変不便でした。
両替所には長い列が出来ていましたが、二日間の滞在なので工夫
をしてしのぎました。
国々が重なり合うように存在するヨーロッパでは、統一通貨ユーロは利便
性が高く、またEUは人々の交流、物資の移動が自由に行われ、
このことはお互いの垣根を取り払い、これまでの過去の幾多の争いを解決する最善の
策のように感じました。
EUがもたらす利便性や自由は、政治的、財政的に意見の対立や軋みがあっても、やはりヨーロッパの人々の希望を表しているように思いました。
ウィーンⅡ 心の宗教であるべき宗教
ウィーン シュテファン寺院
ヨーロッパを旅するとキリスト教会はつきものです。日曜日にあたったレーゲンスブルクの大聖堂ではミサに参加し聖歌隊の歌声を聴きました。
しかし、僕は教会に行く度に疑問が湧いてきます。
なぜ教会は壮厳で豪華でなくてはならないのか。
なぜ薄暗い内部に蝋燭を灯し非日常的空間を演出しなければならないのか。
なぜ聖歌隊の讃美歌は天井に反射してまるで天使の歌声のように天から降り注がれなければならないのか。
若い頃、新約聖書を読みました。一回だけですので読解が間違っているかもしれませんが。
初めの章の方では、中東の荒涼とした大地で、一粒の麦、一滴の水を失った者の絶望は深く、深ければ深いほど救済を求める者は自ら歩みを進めて救済を求めていく様子が濃密に描かれていました。
しかし、章が進むにつれ、教会が人々を手招きする描写になり読み終えるのに苦労しました。
十数年前にヨーロッパを自転車で旅した時、ドイツのアウグスブルグからローテンブルクへ、村から村へと自転車を走らせたのですが、村々の中心には教会がありました。
昔アウグスブルグはローマカソリックの司教座都市であり、ローマカソリック教会の影響下にありました。
アウグスブルグに近い村ではカソリック教会。少し遠くなると一つの村にカソリック教会とプロテスタント教会。更にアウグスブルグから遠ざかるとプロテスタント教会だけになりました。
あくまでも僕が感じた個人的な感想であるということを分かって頂いたうえで、
心の宗教であるべき宗教が、教会の宗教に転移していくのは何故か、いつもヨーロッパを旅すると考えさせられます。
ウィーン グーグル検索は世界共通
ウィーン
ウィーンの繁華街はイースターを楽しむ人達で賑わっていました。
住宅街は小さなスーパーは店を閉め、
車も少なく休日らしいのんびりした雰囲気が漂っていました。
地下鉄に乗り、着いた駅kardinal-nagl-platzは
石造りの建物と石畳の静かな街です。
温かい陽ざしの中を乳母車を引いたお母さんが歩いています。
地図を見ながらホテルを探そうとしましたが、
方向感覚が掴めずさっぱりわからない。
で、道を訊ねることにしました。
年配の人に聞いたら要領を得ません。
やはり若い人に限ると、
通りがかった学生らしい女性に訊ねたら、
さっとカバンからスマホを取り出しグーグルで検索し始めました。
な~んだグーグル検索は世界共通なんだなあ。
コンピューターは
世界中の人たちの行動、思考を同一化している。
ならば、やがて民族や人種や宗教の垣根が低くなり、
相互理解が容易に進むのかなあ、
とふと考えたりしました。
昔シルクロードの小さな村で食事をした時、
その地方独特の香辛料が強く食べることが出来なかった。
が、様々な人が品物を持ち込み人々の交流の多いクチャの町では味はまろやかになりました。
まったく問題なく美味しくいただいた。
Here Comes The Sun
ウイーンへ行くために、レールジェットで
ミュンヘン中央駅を出発したのは午前9時半。
車内は混んでいて、席に座れない人が大勢いました。
途中左の車窓に、
緑がしきつめられたなだらかな丘が続き、
青い空と緑の斜面とその斜面に丘の頂まで伸びる一本の白い細い道が
コントラストとなって
イースターの朝の輝きを表しているように見えました。
やがて右手後方遠くに、スイスのインスブルックの方面でしょうか
雪を頂いたアルプスの山々が見えました。
ウィーン中央駅に着いたのは13時半。
外へ出ると温かい陽ざしが降り注ぎ、
近くの公園に行ってみると太陽を浴びて語らう人々の姿がありました。
昨日のミュンヘンとはうって変わりウィーンは最高気温は19度
公園の人たちから、長い厳しい冬が過ぎて春が来た喜びを感じました。
ジョージハリソン「Here Comes The Sun 」
のメロディーが自然に口をついて出てきました。