立ち位置や教育歴は人の思考を形成していくのだろうか
同じ事象を体験しても、先入観や視点の違いによりそれぞれ違った印象や理解を持つ。
もう昔の話だが、
サンフランシスコのチャイナタウンで遅い昼食を食べた後、宿泊所のサー・フランシス・ドレイクホテルへ帰る途中、紙袋をいかにも大事そうに抱えて、背中を丸めて歩いてくる背広姿の男とぶつかりそうになった。
―この真夏にだぶだぶの黒い背広が不自然だなー
無意識に疑念が湧き、ぶつかる寸前で私は体をかわした。
「もしかしたら、わざとぶつかろうとしたのかも。やれやれ助かった」
と思った。
が、隣の友人に話すと、
「そういう風には見えなかった」
と言う。
当時アメリカの新聞に、
ワインを持ってわざとぶつかって因縁をつけるニュースが載った。
私の脳裏にそれが残っていたのかもしれない。
ある癌の講演会で、A先生がスライドのグラフを指し、説明している最中にその場にいないB先生の名前を突然出して、
「私はB先生とは全く意見が違う」
と非難するような口ぶりで話した。
A先生が話の筋とは関係ないB先生の名前をだしたことに驚いたが、その激しさにはもっとビックリした。
同じグラフでも、医者により考察は真逆に成立するのか。
友人は、医学は定説が定まっていないので、異なる考えが成り立つと言っていた。
医学もどこに視点を置くかに依り、全く方向性が異なってくる。
立ち位置やそこに至った教育歴は、
それぞれの医学を形成していくのだろうか。