巴里 巴里 巴里

 

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巴里  巴里  巴里

 

僕の好きな街は 紐育 Broadway

City of Musical  だから

  

僕の好きな街は  倫敦  West End

地下鉄 Leicester Square の 地上に出て 

三軒目のチケット売り場で

時間切れのプライスダウンしたチケット

ズボンのポケットに突っ込み

たとえば Grease

たとえば Mamma Mia!

たとえば 誰かがくすりと笑ったら波紋のように広がって大爆笑となる

My Fair Lady

 

QueenWe Will Rock You

ブーツを履いたパンプな女の子たちが行列して

観られなかったが

 

 僕の好きな街は 巴里

鉛色の空の下のセーヌ川

歴史が刻まれた 

かって白亜であったであろう石造りの建物

なぜか美しいエッフェル塔

セーヌ左岸13区のホテルの部屋のTVから流れる

ポップな若者の歌にも

 

どこかシャンソンの香りがして

 

 

立ち位置や教育歴は人の思考を形成していくのだろうか

同じ事象を体験しても、先入観や視点の違いによりそれぞれ違った印象や理解を持つ。

 

もう昔の話だが、

サンフランシスコのチャイナタウンで遅い昼食を食べた後、宿泊所のサー・フランシス・ドレイクホテルへ帰る途中、紙袋をいかにも大事そうに抱えて、背中を丸めて歩いてくる背広姿の男とぶつかりそうになった。

 

―この真夏にだぶだぶの黒い背広が不自然だなー

無意識に疑念が湧き、ぶつかる寸前で私は体をかわした。

「もしかしたら、わざとぶつかろうとしたのかも。やれやれ助かった」

と思った。

が、隣の友人に話すと、

「そういう風には見えなかった」

と言う。

 

当時アメリカの新聞に、

ワインを持ってわざとぶつかって因縁をつけるニュースが載った。

私の脳裏にそれが残っていたのかもしれない。

 

 

ある癌の講演会で、A先生がスライドのグラフを指し、説明している最中にその場にいないB先生の名前を突然出して、

「私はB先生とは全く意見が違う」

と非難するような口ぶりで話した。

 

A先生が話の筋とは関係ないB先生の名前をだしたことに驚いたが、その激しさにはもっとビックリした。

 

同じグラフでも、医者により考察は真逆に成立するのか。

 

友人は、医学は定説が定まっていないので、異なる考えが成り立つと言っていた。

 

医学もどこに視点を置くかに依り、全く方向性が異なってくる。

 

立ち位置やそこに至った教育歴は、

それぞれの医学を形成していくのだろうか。

 

 

フリーウエイはブルース・スプリングスティーンの歌がよく似合う

 

昔、写真家藤原新也の「アメリカ」という本に触発され

車で同じルート、route80を通って

サンフランシスコ~ニューヨークまで横断した。

彼は、ダッシュボードに拳銃を忍ばせてキャンピングカーを走らせたが、

私は友人とハーツのレンタカーでモーテルに泊まりながら行った。

 

カーラジオから流れてくる音楽は、ワイオミングではカントリーソング、ネブラスカでは美しい調べ、都会に近づくにつれジャズやロックなど地域性が顕著だった。 

 

ネブラスカで偶然、スプリングスティーンの「ネブラスカ」を聴いて、

以来、ブルース・スプリングスティーンの渋い声とメロディーとリズムに魅了された。

娘はアメリカの歌は英語が分かると数倍面白いと言っていたが、

アメリカの歌は、底にユーモアや希望や皮肉や屈折や批評が潜んでいて、歌詞が良い。

意味が分かれば数倍楽しめる。

 

今でもスプリングスティーンを聴くと、

アメリカのフリーウエイを走っている気分になる。

 

サンフランシスコを出て初めて、ネバタの小さな町のケンタッキーで黒人に出会った。

小学生を連れた親子連れは、静かに注文し、食べて店を出て行った。

 

それから、アイオアのデモインまで白人だけしか出会わなかった。もっともロードサイドの町やモーテルしか知らないから確かなことは言えないが。

 

アメリカは地域と人でハッキリ線が引かれている。

ニューヨークやサンフランシスコやロスアンゼルスの大都市では分からない別のアメリカがあると感じた。

音楽は人間の肉体に沈み込み、満を持して肉とともに弾ける

常磐線北小金駅歩いて6分の所に東漸寺という名刹があります。

530年の歴史をもち、紅葉の季節には多くの人が訪れる

浄土宗の由緒あるお寺です。

 

そこの本堂で、毎年春「お寺でコンサート」が開かれます。

一昨年は、ソプラノ歌手柏原奈穂さん、美緒さん姉妹が出演しました。

 

春のメロディーや歌劇「コシファン・トッテ」を歌いました。

本堂ですから同じ目線で、しかも目の前、1.5m先歌い手がいて、

ホールでの演奏会では味わえない臨場感を体験しました。

 

妻はNY、シカゴへ行ったとき、運よくシカゴ交響楽団の舞台席チケットを購入でき、ダニエルバレンボイムピンカス・ズーカーマン、ヨーヨーマ、の真後ろ中央、わずか1メートル先で生の演奏を聴いた時の感動を今も話します。

 

歌も楽器も、

肉体の躍動なくして存在しない。

音楽は肉体に沈み込み、満を持して肉とともに弾ける。

 

フルトヴェングラーは時代を超える

昨年ベートーヴェンの第九に挑戦しました。

オペラを歌っている友人に刺激されたからです。

 

歌詞は原語ドイツ語で、暗譜しなければならない。

何せ楽譜も読めない初心者なので習得に苦労しました。

 

しかし、先生が、ワンフレーズずつ、時には自ら歌って手本を示し、

丁寧に教えてくれたので、素人の私にも勉強になりました。

 

丹田【下っ腹】に力を入れ、

「頭のてっぺんから上に向かって声を出す」

発声法は私にとって新しい発見でした。

 

しかし、考えてみれば、

クラシック音楽の起源は教会音楽。

聖歌隊の讃美歌がドームの天井に反射して、

天使の歌声のように降ってくる発声は当然のことです。

 

ですから、その発声法は教会音楽とは不可分で、

キリスト教と接点のない私達も歌えば、

目に見えない形でキリスト教の影響を受けている、

と感じました。

 

知人は、各地で第九を歌っていますが、

指揮者によって指導のポイントが違い、音楽の作り方は三者三様だと言っていました。

 

今年はブラームスの「ドイツレクイエム」の合唱に参加する予定です。

 

私は、毎朝1時間かけて野菜や果物を洗ったり切ったりスムージーを作っていますが、その間「ドイツレクイエム」を聴いています。

カラヤン指揮から始まり、フルトヴェングラーコリン・デイヴィスクラウディオ・アバドを聴いてフルトヴェングラーに戻りました。

 

クラウディオ・アバドの明るく陽気な「ドイツレクイエム」を聴いて、

彼の属性を調べたら、彼はイタリア・ミラノ出身でした。

気質は音楽を形づける。

 

加えて、カラヤンは1989年、フルトヴェングラーは1954年、コリン・デイヴィスは2013年、クラウディオ・アバドは2014年に亡くなっています。

時代が求める時間の長さやスピード感は年代によって違う。

例えば

「ドイツレクイエム」の演奏時間は、アバド73分37秒、ディビス73分23秒、カラヤン76分9秒、極めつけはフルトヴェングラー81分21秒で、2014年の時代と1954年時代とではかなりの差があることに気がつきました。

 

時代が求めるスピードに遅れれば陳腐になるものなのに、

フルトヴェングラーはいまだ魅了される。

天才は時代を超えるのでしょうか。

 

ミュンヘン中央駅ーカールス門ーノイハウザー通りーヴィクトアーリエンマルクトーそして日本へ

最後の日の午後は日曜日。ミュンヘンへ行き中心街をぶらぶらした。

残念ながらカフェやビヤホール、土産物店などの観光客相手の店以外は閉まっていた。

 

ミュンヘン中央駅から南東方面へ歩き、カールス門を通り、旧市街地に入った。

ノイハウザー通りは歩行者天国

ミヒャエル教会と新市庁舎をちらっと眺め、歩き、

目的地ヴィクトアーリエンマルクトに着いた。

 

ヴィクトアーリエンマルクトとは野外市場で、

果物や野菜やチーズを売っているが日曜日で閉まっていた。

が、野外のビヤガーデンやソーセージなどを売る屋台は開いていた。

曇り空で肌寒かったが、幾つもの長テーブルはビールを飲む人々で賑わっていた。

私達もそこで暫しソーセージを肴にビールを飲んだ。

 

帰り路はカフェでコーヒー飲むなど寄り道しながら、

中央駅まで歩き、

早めにミュンヘン空港に向かった。

 

成田に着くと日本は春真っ盛り。

 

外国から帰るといつも思うのだが、

 <何て日本は弛緩しているのだろう>

<薄ぼんやり空間と、のんびり空間の狭間に人が行き交う> 

 

多分、自分が外国で緊張していたからそう思うのだが。

一日経つと

<自分もその曖昧さの中に溶け込む>

旅の終わりレーゲンスブル

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午後、アウグスブルグからレーゲンスブルクへ出発した。

 

レーゲンスブルク

ミュンヘンから列車で1時間半程のドナウ河河畔の古都で、

旧市街地は世界遺産に登録されている。

 

まず同行者と分かれて各自ホテル探しを始めることにする。

が、今日は土曜日なので軒並み断られた。

仕方なく、一軒のホテルに、

「どこかホテルを紹介してくれないか」

と頼みに行ったところ、空いている部屋が一つあるという。

内見するとダブルベットの部屋だった。

同行者は友だが、男二人で寝る?

やだね、窮屈そうじゃないか、

と躊躇していると、

系列のホテルに空きがあるかどうか聞いてあげるというのでお願いした。

 

空きのあるホテルが見つかり、

そこへ行くためタクシーを呼んであげると云う。

一瞬?と思ったが、

ホテルは市街地の外れにあるのかぐらいに軽く想像して承諾した。

 

しかし、タクシーは市街地を出て田園風景の中を曲がりくねって進んで行き、

「何処まで行くのだろう」

と心配になった頃、

国道沿いのトラックターミナル近くのモーテルの前で停まった。

 

トラックターミナルでは、

ドライバーたちが

トラックの整備をしたり、

トラックの中で休んでいたり、

土曜の午後を思い思いに過ごしていた。

 

チェックインした後、

トラックターミナル併設のレトロな感じの食堂で

ジュークボックスから流れる音楽を聴きながら、

ビールと遅い昼食を取った。

 

そのあと、明日の朝に備え、

レーゲンスブルク行のバス乗り場を確認しに行った。

 

明日はこの旅は終わりだ。

朝は、レーゲンスブルク旧市街地を見学し、

午後からミュンヘンに行き中心街をぶらぶらして、

夜の飛行機に乗るという予定を立てた。

 

 

朝7時にホテルを出てバスに乗った。

国道をしばらく走ると右折して住宅街に入り、

程なくして街の中心街に着いてしまった。

昨日のタクシーは

モーテルに行くまでずいぶんと時間をかけた。

あの走りは何だったのだろう。

あのコースを走らなければならない交通規制があったのか、

それとも遠回りしたのだろうか、

 

まだ朝早かったので旧市街地に人影はない。

レンガ色の家並み、狭い石畳みの曲がりくねった道。

世界遺産に登録されるだけあって、中世の面影を色濃く残していた。

レーゲンスブルのドナウ河はプラハのとは違い、川幅が狭く流れが速かった。

 

10時からステンドグラスで有名な大聖堂のミサに参加した。

この聖歌隊は有名だそうだ。

讃美歌はドームの天井に反射し、まるで天使の歌声のように降ってくる。

その歌声には心を浄化させる働きがあるように感じた。