癌と共生する

私は十数年前に癌になりました。

 

宣告だけでも辛いのに余命宣告まで受け、

その後1か月は陽射しを浴びても、樹々を見ても、

外界との間に薄皮が一枚挟んであるように心は彷徨っていました。

 

その後患者会、病院、湯治場で多くの癌患者に会いました。

 

そこで私は生還した人、共存している人に二つの共通項があることを見つけたのです。

 

一つは、癌の正体を徹底的に調べ得体のしれない不安を解消して癌に対峙している人達でした。

 

私達は未知のものに恐怖や不安を感じます。それらは不眠や動悸、食欲不振、活力の低下など体調不良をもたらし免疫を下げます。癌と正面から向き合い、知ろうとする研究心が乗り越える力を与てくれる。不安が解消されれば明日に向かって進もうとする意欲が湧いてきます。

 

二つ目は、何か心を預けるものをお持ちの人達でした。

 

ある方は、中国駐在時に現地の人から胃癌に効くからと勧められた独特の匂いの蜂蜜。20年経った今でも送られ飲み続けているそうです。彼は患者として山あり谷ありだったがこうして元気にしていられるのはその蜂蜜のおかげと感謝していました。

また、ある80歳の方は、40歳で乳がんに罹り、幼い子どもを残しては死ねないと友人が勧める教会に1時間半かけて週に何度も通い一心に祈ったそうです。

「心から信じ心を預けたものは未来をもたらす」であろうとことは疑いありませんでした。

 

内部から湧き出る信念を得た者が、癌に打ち勝とうとする強い精神力を保ち、癌を乗り越えることが出来るのかもしれません。

 

であるならば、

なにかを心から信じ心を預けられるものに出会うことが、運命を分けるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

宇多田ヒカルのオリジンは

1990年頃の話ですが、

R80をソルトレークシティーからロッキー山脈を越えて東へ車を走らせた時、

カーラジオから流れる曲は

その州によって全く違った雰囲気がありました。

 

ワイオミングではカントリーソング、

ネブラスカでは美しい調べ

(干し草が束になって転がっている平原や

広大なトウモロコシ畑の風景に

よく似合うスローな曲)

イリノイに入りシカゴが近づくと、

どのチャンネルに合わせても都会らしいアップテンポの曲ばかりになりました。

 

イリノイに入った頃、カーラジオから宇多田ヒカルの曲が流れてきました。

しかし、なにか違います。

集中して聴くと、

宇多田ヒカルではなくアメリカ人が歌っていたのです。

それは宇多田ヒカルの「Precious」の雰囲気をまとった曲でした。

日本のラジオから流れていた宇多田ヒカルの歌と

勘違いしてしまったのです。

「Precious」は、

アメリカの音楽シーンの雰囲気をまとった曲」

と思いました。それほど曲想が似ていたのです。

 

その時、私は

「歌手は生まれた時代や土地(彼女は1990年代のニューヨーク)の

養分を吸って誕生する」

「一人の歌手の誕生は育った国とその風土の空気に拠る」

宇多田ヒカルの歌のオリジンはこのアメリカNYから、

と感じました。

 

 

 

 

 

 

 

鴻上尚史さんの選考基準から「危うさの認識」

先日、TVで劇作家鴻上尚史さんがオーディション選考の基準として、

「役柄から自然にこぼれ落ちる何かを持っている人を選ぶ」

 と語っていました。

 例えば、清純な役柄を演じても、

 演じきれない中に、

その演じる人が本来持っている個性としての色気が、

こぼれ落ちる とか。

 

 私は、様々な方の話を聴く機会があります。

 それぞれの方は明快に自分の主張をします。

それはそれで根拠のある主張をします。

 その方々の話を聴いていくうちに、

物事には捉え方により正反対の見方が成り立つ場合

もあることに気が付きました。

 また、

 「それぞれの主張には正反対の意見が成り立つ危うさ」

 がつきまとういうことも。

 

 自分の主張の客観性を成り立たせるためには、その危うさを認識する

 つまり、

 「主張がある人は、まず自分の主張と反対の意見を知る」

 が、自分の主張を保証する担保のように思えるのです。

 

 危うさを認識していない、

もしくは危うさを分かっていながら知らない振り

 をして、

意見を述べる方は、時勢が変われば、衣替えのように、

 いとも簡単に自分の考えや主張を脱ぎ捨てる危険性

 を秘めているように私には思えるのです。

 

 「危うさがあるという自分の主張への心の含羞」

 がこぼれ落ちる思想家や政治家が出てくれることを期待します。

 

 

 

立ち位置や教育歴は人の思考を形成していくのだろうか

同じ事象を体験しても、先入観や視点の違いによりそれぞれ違った印象や理解を持つ。

 

もう昔の話だが、

サンフランシスコのチャイナタウンで遅い昼食を食べた後、宿泊所のサー・フランシス・ドレイクホテルへ帰る途中、紙袋をいかにも大事そうに抱えて、背中を丸めて歩いてくる背広姿の男とぶつかりそうになった。

 

―この真夏にだぶだぶの黒い背広が不自然だなー

無意識に疑念が湧き、ぶつかる寸前で私は体をかわした。

「もしかしたら、わざとぶつかろうとしたのかも。やれやれ助かった」

と思った。

が、隣の友人に話すと、

「そういう風には見えなかった」

と言う。

 

当時アメリカの新聞に、

ワインを持ってわざとぶつかって因縁をつけるニュースが載った。

私の脳裏にそれが残っていたのかもしれない。

 

 

ある癌の講演会で、A先生がスライドのグラフを指し、説明している最中にその場にいないB先生の名前を突然出して、

「私はB先生とは全く意見が違う」

と非難するような口ぶりで話した。

 

A先生が話の筋とは関係ないB先生の名前をだしたことに驚いたが、その激しさにはもっとビックリした。

 

同じグラフでも、医者により考察は真逆に成立するのか。

 

友人は、医学は定説が定まっていないので、異なる考えが成り立つと言っていた。

 

医学もどこに視点を置くかに依り、全く方向性が異なってくる。

 

立ち位置やそこに至った教育歴は、

それぞれの医学を形成していくのだろうか。

 

 

フリーウエイはブルース・スプリングスティーンの歌がよく似合う

 

昔、写真家藤原新也の「アメリカ」という本に触発され

車で同じルート、route80を通って

サンフランシスコ~ニューヨークまで横断した。

彼は、ダッシュボードに拳銃を忍ばせてキャンピングカーを走らせたが、

私は友人とハーツのレンタカーでモーテルに泊まりながら行った。

 

カーラジオから流れてくる音楽は、ワイオミングではカントリーソング、ネブラスカでは美しい調べ、都会に近づくにつれジャズやロックなど地域性が顕著だった。 

 

ネブラスカで偶然、スプリングスティーンの「ネブラスカ」を聴いて、

以来、ブルース・スプリングスティーンの渋い声とメロディーとリズムに魅了された。

娘はアメリカの歌は英語が分かると数倍面白いと言っていたが、

アメリカの歌は、底にユーモアや希望や皮肉や屈折や批評が潜んでいて、歌詞が良い。

意味が分かれば数倍楽しめる。

 

今でもスプリングスティーンを聴くと、

アメリカのフリーウエイを走っている気分になる。

 

サンフランシスコを出て初めて、ネバタの小さな町のケンタッキーで黒人に出会った。

小学生を連れた親子連れは、静かに注文し、食べて店を出て行った。

 

それから、アイオアのデモインまで白人だけしか出会わなかった。もっともロードサイドの町やモーテルしか知らないから確かなことは言えないが。

 

アメリカは地域と人でハッキリ線が引かれている。

ニューヨークやサンフランシスコやロスアンゼルスの大都市では分からない別のアメリカがあると感じた。

音楽は人間の肉体に沈み込み、満を持して肉とともに弾ける

常磐線北小金駅歩いて6分の所に東漸寺という名刹があります。

530年の歴史をもち、紅葉の季節には多くの人が訪れる

浄土宗の由緒あるお寺です。

 

そこの本堂で、毎年春「お寺でコンサート」が開かれます。

一昨年は、ソプラノ歌手柏原奈穂さん、美緒さん姉妹が出演しました。

 

春のメロディーや歌劇「コシファン・トッテ」を歌いました。

本堂ですから同じ目線で、しかも目の前、1.5m先歌い手がいて、

ホールでの演奏会では味わえない臨場感を体験しました。

 

妻はNY、シカゴへ行ったとき、運よくシカゴ交響楽団の舞台席チケットを購入でき、ダニエルバレンボイムピンカス・ズーカーマン、ヨーヨーマ、の真後ろ中央、わずか1メートル先で生の演奏を聴いた時の感動を今も話します。

 

歌も楽器も、

肉体の躍動なくして存在しない。

音楽は肉体に沈み込み、満を持して肉とともに弾ける。

 

フルトヴェングラーは時代を超える

昨年ベートーヴェンの第九に挑戦しました。

オペラを歌っている友人に刺激されたからです。

 

歌詞は原語ドイツ語で、暗譜しなければならない。

何せ楽譜も読めない初心者なので習得に苦労しました。

 

しかし、先生が、ワンフレーズずつ、時には自ら歌って手本を示し、

丁寧に教えてくれたので、素人の私にも勉強になりました。

 

丹田【下っ腹】に力を入れ、

「頭のてっぺんから上に向かって声を出す」

発声法は私にとって新しい発見でした。

 

しかし、考えてみれば、

クラシック音楽の起源は教会音楽。

聖歌隊の讃美歌がドームの天井に反射して、

天使の歌声のように降ってくる発声は当然のことです。

 

ですから、その発声法は教会音楽とは不可分で、

キリスト教と接点のない私達も歌えば、

目に見えない形でキリスト教の影響を受けている、

と感じました。

 

知人は、各地で第九を歌っていますが、

指揮者によって指導のポイントが違い、音楽の作り方は三者三様だと言っていました。

 

今年はブラームスの「ドイツレクイエム」の合唱に参加する予定です。

 

私は、毎朝1時間かけて野菜や果物を洗ったり切ったりスムージーを作っていますが、その間「ドイツレクイエム」を聴いています。

カラヤン指揮から始まり、フルトヴェングラーコリン・デイヴィスクラウディオ・アバドを聴いてフルトヴェングラーに戻りました。

 

クラウディオ・アバドの明るく陽気な「ドイツレクイエム」を聴いて、

彼の属性を調べたら、彼はイタリア・ミラノ出身でした。

気質は音楽を形づける。

 

加えて、カラヤンは1989年、フルトヴェングラーは1954年、コリン・デイヴィスは2013年、クラウディオ・アバドは2014年に亡くなっています。

時代が求める時間の長さやスピード感は年代によって違う。

例えば

「ドイツレクイエム」の演奏時間は、アバド73分37秒、ディビス73分23秒、カラヤン76分9秒、極めつけはフルトヴェングラー81分21秒で、2014年の時代と1954年時代とではかなりの差があることに気がつきました。

 

時代が求めるスピードに遅れれば陳腐になるものなのに、

フルトヴェングラーはいまだ魅了される。

天才は時代を超えるのでしょうか。